停電

3月11日は忘れられない日になりました。

私は神奈川県に住んでいますが

午後2時46分 ちょうど その時間

駅ビルの大きな地下ショッピングモールで

娘と買い物をしていました。



テスト期間が終わり 午前中授業だけで

帰ってくる娘と パスタを食べに 

近所の駅ビルの 中の

ファッションビル5Fにて ランチを食べました。



5Fに上がるとき エレベーターを使い

下に降りるときは たまたまエスカレーターを

使っていたのを 憶えています。





ちょうど 地下に降り 食料品を 物色していた

その時、 突然の停電!!





娘は 「え〜めずらしい停電なんて貴重な体験だね^^(笑)」

と のんきな事を話しておりました。





その途端 グラっ  グラグラっ







私は つい先日 海外で 地震で生き埋めになっている

人たちの VTRを 思い出しました。







持っていた 買い物カゴを 放り投げ

娘の手を 引き

『行くよ!!』

上に 逃げなきゃ・・・・・







どっちが 非常階段か わからない。。

エスカレーターは 停まっている・・・







あたりは 真っ暗。。







半分 泣きそうな声で 近くに しゃがみこんでいる

パートのおばさんに 階段は どっちですか??と聞きました。







丁寧に教えてくれた おばさん・・・

階段 2段飛ばしで 早くっ 早くっ と娘の手をひっぱりながら

1階の エントランスに 出た時







ドカーーーーンっ バリバリっ

グラっ と揺れ (大きな音は 雷が 落ちたような音でした。。)









あまりの 揺れと 音の大きさに

腰が抜け しゃがみこんでしまった 私を・・・







今度は 娘が 「ママ、そんなとこにいたら 危ないよ」

と 手を引っ張ってくれました。









少し 広い場所に出た私たち・・・

あわてて 実家の親に電話しました。





電話が混線して つながらない。。

ひざが 震えて 電話を持つ手も 震えました。。

本当に怖かった・・・・







今まで生きてきた中で 1番大きな地震

 でも、娘と 一緒で 良かった。

はぐれたりしたら 大変だった。。







その日は ずっと 長い時間停電が続き

お風呂も入れないし。

ろうそくと 懐中電灯の 生活でした。







でも、 宮城 福島 岩手などの 地震津波の被害に

あった方々の 事を 考えると







あたたかい 布団で 眠れるだけ 本当に

ありがたいと 思いました。







知り合いの 親御さん 兄弟 親戚が

まだ 連絡が取れなかったり

安否が わからない といった状況の中

なんと 言葉を かけてあげれば いいのかも

わからず 自分の 無力さを 感じました。







いま自分に出来る 精一杯のことを

 よく考えて 行動に移したいと思います。









今回の地震津波で 亡くなられた方々に

心から ご冥福を申し上げます。